本文
警視庁、捜査二課。知能犯係、詐欺捜査班。
午前の空気はコーヒーとコピー用紙の匂いで、すでに少し焦げている。
柏木は端末の前に座り、名刺に印刷された会社名を打ち込んだ。
画面の中の文字は、平等に冷たい。
「登記、あるな」
隣の席の分析担当が、淡々と呟いた。
法人番号、所在地、代表者名。整っている。整いすぎている。
「でも……動いてない。決算公告なし、事業目的が広すぎる。取引実態も薄い」
“広すぎる”のは、逃げ道だ。
何をしている会社かを決めなければ、何もしていなくても嘘にならない。
柏木は、所在地のビル名を地図で開いた。
雑居ビル。小さなオフィス。入居テナントは頻繁に変わる。
会社が消える場所だ。——会社を消すための場所。
班長が、背後から覗き込む。
「説明会、行ったんだって?」
「“行った”というより、見てきました。安心が売られてました」
班長は、息を吐いた。
「安心を売るのは合法だ。——問題は、安心の裏付けが偽物かどうか」
柏木は頷いた。裏付け。つまり資金の流れ。
ここから先は数字の世界になる。
彼女は、被害相談の一覧を開いた。
まだ大きな波にはなっていない。だが“相談”は、いつも遅い。
被害者は最初、自分が賢いと信じている。信じていたい。
その中に、ひとつだけ温度の違う相談があった。
「紹介者が急に連絡を絶った」。金額は小さい。
でも恐怖の匂いがする。紹介者は、逃げたのではなく——逃がされた。
柏木は相談者に会うことを決めた。
詐欺事件は、被害額よりも“言葉の構造”で規模が決まる。
夕方。喫茶店。
相談者は四十代の男性で、背筋が固い。背筋が固い人ほど、柔らかい言葉に弱い。
「……騙されたっていう自覚は、正直、ないんです」
柏木は、そこを否定しなかった。
「それでいいです。今日は“騙されたか”じゃなくて、“安心した理由”を聞きたい」
男は目を瞬いた。自分の中の答えを探す顔。
「紹介者が……昔の同僚で。真面目で。家族もいる人で。だから……」
「紹介者の人生が、保証書になってた」
男は黙った。肯定でも否定でもない沈黙。
その沈黙が、保証書の“破れ”だ。
柏木は続けた。
「会社の説明より、その人の説明の方が多かったんじゃないですか」
「……はい。会社の話は、正直、難しくて。紹介者が“俺が責任持つ”って……」
その言葉の瞬間、柏木の中で線が引かれた。
“責任を持つ”と口にする人間は、責任を持てない場面でそれを言う。
帰り道。柏木はメモを見返した。
会社ではなく、人が担保になっている。
なら、人を辿るしかない。紹介者の名義、紹介者の口座、紹介者の立場。
——そして、その背後の“役割”だ。