柏木聡美 事件録|CASE 01

第2話「消えた法人」

存在している。しかし“息をしていない”。

本文

 警視庁、捜査二課。知能犯係、詐欺捜査班。
 午前の空気はコーヒーとコピー用紙の匂いで、すでに少し焦げている。

 柏木は端末の前に座り、名刺に印刷された会社名を打ち込んだ。
 画面の中の文字は、平等に冷たい。

「登記、あるな」

 隣の席の分析担当が、淡々と呟いた。
 法人番号、所在地、代表者名。整っている。整いすぎている。

「でも……動いてない。決算公告なし、事業目的が広すぎる。取引実態も薄い」

 “広すぎる”のは、逃げ道だ。
 何をしている会社かを決めなければ、何もしていなくても嘘にならない。

 柏木は、所在地のビル名を地図で開いた。
 雑居ビル。小さなオフィス。入居テナントは頻繁に変わる。
 会社が消える場所だ。——会社を消すための場所。

 班長が、背後から覗き込む。

「説明会、行ったんだって?」

「“行った”というより、見てきました。安心が売られてました」

 班長は、息を吐いた。
「安心を売るのは合法だ。——問題は、安心の裏付けが偽物かどうか」

 柏木は頷いた。裏付け。つまり資金の流れ。
 ここから先は数字の世界になる。

 彼女は、被害相談の一覧を開いた。
 まだ大きな波にはなっていない。だが“相談”は、いつも遅い。
 被害者は最初、自分が賢いと信じている。信じていたい。

 その中に、ひとつだけ温度の違う相談があった。
 「紹介者が急に連絡を絶った」。金額は小さい。
 でも恐怖の匂いがする。紹介者は、逃げたのではなく——逃がされた。

 柏木は相談者に会うことを決めた。
 詐欺事件は、被害額よりも“言葉の構造”で規模が決まる。

 夕方。喫茶店。
 相談者は四十代の男性で、背筋が固い。背筋が固い人ほど、柔らかい言葉に弱い。

「……騙されたっていう自覚は、正直、ないんです」

 柏木は、そこを否定しなかった。
「それでいいです。今日は“騙されたか”じゃなくて、“安心した理由”を聞きたい」

 男は目を瞬いた。自分の中の答えを探す顔。

「紹介者が……昔の同僚で。真面目で。家族もいる人で。だから……」

「紹介者の人生が、保証書になってた」

 男は黙った。肯定でも否定でもない沈黙。
 その沈黙が、保証書の“破れ”だ。

 柏木は続けた。
「会社の説明より、その人の説明の方が多かったんじゃないですか」

「……はい。会社の話は、正直、難しくて。紹介者が“俺が責任持つ”って……」

 その言葉の瞬間、柏木の中で線が引かれた。
 “責任を持つ”と口にする人間は、責任を持てない場面でそれを言う。

 帰り道。柏木はメモを見返した。
 会社ではなく、人が担保になっている。
 なら、人を辿るしかない。紹介者の名義、紹介者の口座、紹介者の立場。
 ——そして、その背後の“役割”だ。