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都内。雑居ビルの三階。看板はない。受付は妙に丁寧で、会場は妙に静かだった。
「本日はお越しいただきありがとうございます。——まず最初に、これは“ご縁”です」
マイクを握る男は、笑顔を“練習”している顔をしていた。
それでも客席は頷く。頷きの速度が、紹介者の席に近いほど速い。
柏木聡美は、後ろから二列目に座っていた。
名札は「柏木」。肩書きはない。今日の彼女は“興味がある一般人”だ。
机の上には、パンフレット。紙は厚い。文字は柔らかい。
しかし数字だけが硬い。硬く、断定的で、やけに優しい顔をしている。
「年利、十数%。もちろん元本は守られます。——守る仕組みがあるんです」
“仕組み”。それは魔法の言葉だ。
詳細を言わなくていい。聞き手は、自分の頭の中で勝手に完成させる。
目の前の女性が、メモを取っていた。
震える手ではない。むしろ落ち着いている。落ち着きすぎている。
それが柏木には、怖かった。
説明会の後半。質疑応答。男は答え方が上手い。
「不安」は受け止めるが、「確認」は避ける。感情は抱きしめるが、事実には触れない。
それでも客席は安心する。安心する理由は、“ここにいる”という共同体の力だ。
自分だけが判断したのではない。みんながいる。紹介者がいる。
——逃げ道が、最初から塞がれている。
終了間際。スタッフが紙袋を配り始めた。
中身は粗品。安い。けれど人は安いものでも受け取ると、心のどこかで“借り”を感じる。
柏木は受け取らなかった。
代わりに、出口で“名刺”を受け取った。会社名は立派だ。
住所はビル名まで書いてある。電話番号もある。
——だが、その名刺の隅に、ひとつだけ、奇妙な点があった。
「担当:企画推進室」
企画推進室。部署名が“作品タイトル”みたいに綺麗すぎる。
実在する会社ほど、部署名は泥臭い。
柏木は名刺を指先で撫でた。紙の厚さと、嘘の薄さは比例しない。
会場を出る。廊下の空気が急に冷える。
彼女はスマホで、会社名を検索した。
出てくるのは、褒め言葉ばかり。
そして不自然なほど、否定がない。
——否定がない世界は、現実じゃない。
柏木は、画面を消して歩き出した。次に見るのは評判じゃない。
「登記」だ。存在しているかどうか。そこから始める。